あまり特定の中学校のことは書かないTKGラブのヴォクです。みなさん、こんばん波。ヴォクのヴの発音、最近上達しています、ええ。
でも(でも?)、OKGW中の社会のノートと理科のノート。これはめっさいいです。
まずプリントをノートに貼るので授業内容に漏れがない。ポイントがはずれることがない。なぜなら人間は(かっこ)を見たら埋めたくなる本能的な生き()だ()ら。生き物だから。
教科担当者が学年に複数いてもクラス間格差が小さくてすむ。万一休んでもどこが休んでいた部分かが休んでいた子にもわかる。そしてプリントでは重要なポイントを抑え、余白には好きなだけ研究したことを書き込むことができる(みんな米粒に書くような細かい字をノートに書き足している)。
これぞまさに不自由の中の自由。
プリントには癖があるものだからひとつのプリントをみんなが使うことには抵抗したくなる気持ちもときにはあるだろう。でも教科書と同じでプラットフォームとして利用するならやはり便利なんじゃないか。
少なくとも気まぐれの板書よりもずっといい。
ヴォクは心のボトムから、本当にそう思うとる。
北海道のさそり先生にならって、ヴォクも来年三月からはノートをつくらないといかん、男はそう言いながら、TKGにインドの岩塩少々と醤油一滴をたらすのであった。
ほなね。すた、すた、・・・グラマスター。