上尾市にある学習塾 セルフラーニング光塾

浦和 大宮 浦和第一女子 東大京大進学指導. 小学生, 中学生, 高校生のための私塾. 難関校進学の夢をあきらめないあなたを東大出身プロ講師がサポートします. 無学年式でいまの位置と志望校の入試をクリアする2地点をスロープ状階段状につなぐカリキュラムを利用して、セルフラーニングで勉強を進める個別指導学習塾 光塾は, 上尾市内の, 桶川市との境めにあります。

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学級代表と始業の儀式

アイコーを喫茶店で飲んでいてふと思い出したので久しぶりに書こう。
ある意味めちゃくちゃな授業
・きょうは教室に来た学生が少人数。先生はしばし熟考したる後、数える。財布を取り出している。一、二、三、四、・・・八。少人数であるのを指差し数え再確認し、おごりましょうとドイツ語で言った。その年から大学へ出講している非常勤の先生で話をしたい上に暑い初夏におごりか、とうれしく思い、喫茶店まで同行。路地裏にある民家でここが喫茶店とは気づかなかった。一人ずつ好きなものを順番に、ヴォクはアイコーを頼み、授業自体は30分くらいで終了。テキストは開かずお話を聞いた、と。さて、会計になると、割り勘だった。
(茶店のコーヒーはうまかったのでまぁよろしい。チャイム通りに授業をはじめる中地先生が夕方の最終授業後にしばしば誘ってくださる中華料理屋と、校門前のフレンチのうまい店がすぐ近くにあっていつも昼行っていたのだがその後コーヒーだけ飲みに民家サテンもローテに加えた。)
・チャイムが鳴って授業開始(時間通りに来る先生は他には多くなかった)を知らせる。そのチャイムから50分くらいするとバイクの音。学生たちは席について待つ。先生がバイクで教室に横付けし1000人の講義室の非常口から入室。教官席にはドリンクなど差し入れがあり。
先生はヘルメットこそとったが皮ジャン、サングラス着用まま、しばしタバコをプカプカ(太い葉巻たばこ)、座ってマイク講義。葉巻たばこの煙は窓全開なので無問題。(ライブか・・・)
・とある授業にて。第一回目の記念すべき授業にて教官いわく、授業への出席は年間2、3回でよろしい。テスト前のいついつは必ず来てください。私の授業なんかよりも本を読んでください。
次にヴォクが行くと学生は一人だった。
その次に行ったときもまた一人だった。
またその次ははじめ誰かいたが教官がくるころにはいなくなっていた。
代わりに学生隊がやってきて途中「寮廃止反対」の演説と署名活動をやって授業(中の個人レッスン)の邪魔をした。
そしてお決まりのように、学期末の試験のときには先生の本を手にたくさんの人が試験を受けに来ていた。
と、授業?はいささか変だったが3人とも本を出版しており買うのを必修にしていた。
出費。
仕送り0、アパート代と食費に奨学金3種(育英会を2種借りているのは学内で2人だったのでやや希少だった。また語学で普通は英語と第2外国語にするらしいがヴォクは英語はペラペラだったので英語をとらないことにさせてもらい、第2外国語と第3外国語にしてもらってた。そちらは学内1人だった。ちょっと珍しくなってしまった)を回すと本が買えないのでたこ焼きを焼くアルバイト。
まかないめしのたこ焼きはやっぱりうまい。
という、すこし前の大学のころの話。
それに比べ、ヴォク自身の授業はひどいもんだった。
話はタコ焼き屋に勤めた頃にさかのぼる。
深夜までやっていたそのタコ焼き屋にはいろんな客がやって来た。
ストリートミュージシャン大道芸人、駅で歌い終えてきた外国人。
センター店では外国人の客も多くヴォクがいくつかの覚えたての外国語で接客した。
そんな様子をはじめのうちは楽しく見ていた大将がある日まかないめしを食べるヴォクに仕事の紹介をした。
「予備校で働かないか?」チャンスというのはあるもので模試の成績データが残っていたようだ。試験なしで中に入れてもらうことになった。
予備校では大学の先輩やテニスつながりの先輩職員がいたりしたこともあって、大人数のクラス授業をはじめの年から任された。模試の成績はたいしてよくなかった地理と、一番よかった数学と、好きだった英語の3つしか当時は担当していなかった。いかに自分がいい授業をするかばかり考える日々だった。(いまとは発想が真逆である。)
2年目からはタコ焼き屋との兼任をやめ週に5日、出講した。
当時はマイクで話をするのが授業だと思っていた。
場所がら慶應女子、学附など国立私立のいろんな高校生が来ていた。
(ウラコーに話をもどして)
・チャイム、「起立、礼「お願いします」、着席」。
などというわけのわからぬ儀式は禁止。
「私が来て話が始まったらそれが授業です。」
と浦和に通う光子の一人が話してた。
ゴイス。他にもいろいろびっくりしたのだがびっくりすぎてちょっと・・・。
(バイクからおりて一服したら開始というのと似ていないこともない。ヴォクは大教室が苦手で結局その授業には二度と出ることはなかった。)
黄色いカエルをしばし見つめていたきょうの光子が質問。
せんせー、キー坊という名前はドラえもんの映画のキャラからとったんですか。
「あー、このキー坊の名前はヴォクの方が先だった。」
(てか、なんでこの喫茶店はたこ焼きがうまいんだ。なぞ。)
4月に聞いた限りでは、中学生塾生の半数以上が学代になっていた。生徒会長も数名。
部活と委員でいろんな経験ができてよさそうだ。
生徒会長の一人いわく、主な仕事は集会の挨拶なので会長は役職の中ではまだ楽な方です、と。
それはみんなで動くよい組織にみんなで作り上げたからだろう。
役割の中では文化祭や体育祭や修学旅行前後が忙しくなる子が多いようだ。
先の浦和高校の先生式でいけば役職についていようといまいとやるべきことを各自が考えてやる、みながそうであれば役職などいらぬということになろう。
他にも、シャチホコを作る門隊の話(→「浦和高校、門隊」でググるとよいらしい)や一人で3教科を教える高校の先生のことなどおもしろい話をたくさん聞けたのだった。
部活のことはまたいつか聞くとしよう。
ほなね。