上尾市にある学習塾 セルフラーニング光塾

浦和 大宮 浦和第一女子 東大京大進学指導. 小学生, 中学生, 高校生のための私塾. 難関校進学の夢をあきらめないあなたを東大出身プロ講師がサポートします. 無学年式でいまの位置と志望校の入試をクリアする2地点をスロープ状階段状につなぐカリキュラムを利用して、セルフラーニングで勉強を進める個別指導学習塾 光塾は, 上尾市内の, 桶川市との境めにあります。

上尾市 桶川市 個別指導 学習塾 セルフラーニング光塾

えのもとみのるといふひと(3)。

ヒカリの授業単位は週1回通塾・120分の個別対応型授業だ。

なぜ週1(や週2)か。塾に依存せず自分でやるため。

塾は勉強のコーチ。一緒にやらない。指示と確認だけだ。

なぜ120分か。子供が考える時間をとるため。演習や暗記の時間もある。

コーチが確認するのに時間がかかるため。

やみくもに進まず身につけながらすすめる。

思考には時間が必要だ。

独学式なので、塾で全部1から10まで何でも教えてもらおうという子には向かないだろう。

独学式なので、ノルマをこなさない子には向かないだろう。

独学式なので、目標を持たない子には向かないだろう。

独学式なので、質問をつくらずに塾にくる子には向かないだろう。

独学式なので、参考書や問題集を大切にしない子には向かないだろう。

独学式なので、確認テストの準備をしてこられない子には向かないだろう。

独学式なので、言ったことしかやってこない子には向かないだろう。

独学式なので、一人で考えようとしない子には向かないだろう。

独学式なので、難問を面倒くさがる子には向かないだろう。

独学式なので、考える前にききたがる人には向かないだろう。

独学式なので、言われるまで動かない子には向かないだろう。

独学式だが、言ったことを守って独学を身につけてくれたら、必ず結果につながる。

なんとも過ごしにくい塾があったものだ。

テストの結果は1回で出さなければならない。

結果が出ないのなら、やり方が間違っているのかもしれない。

言ったことができていないのかもしれない。

結果が出ないのなら、なぜ出ないのか考えなければならない。

覚悟を決めて勉強しないとならない。

目標を実現するための勉強をしなければならない。

すべてはテスト結果で判断するべきだし、されるべきだ。

模試の数字があがらないのならば塾は辞めないといけなくなる。

塾をやめたくないのであれば点数を上げるしかない。

塾とはそういうところだ。

スコアプレゼンターが塾だというのなら、スコアが上がらない場合には通っていたのは塾ではなかったことになる。

塾に通うなら点数を上げるしかない。

塾とはそういうところだ。

いい加減な気持ちで塾に通うつもりなら、できるだけすぐにやめた方がよい。

お金がもったいない、時間がもったいない、コストがもったいない。

「点数を上げるか、去るか」

マッキンゼーではないが、

UP OR OUT!

現コーチの僕は塾には一度も通ったことはない。

塾に行くお金はうちにはなかった。

もっと正確には塾に行く時間もなかった。魂をこめてテニスをさせられていたので、時間もなかった。

幸運なことに鬼コーチ(コーチ・カーター並の名コーチ)についてテニスができた。

しかもその部活は無料だった。

僕はテニスの優勝を本気で目指していた。

塾に行く時間があったら、公園の公衆トイレの壁に向かって、壁打ちをしていただろう。

けれど塾に行っている子に情報はよくもらった。

本はよくかしてもらった。プリントもただでコピーさせてもらっていた。

立ち読みもよくした。

力が変わらない場合、成績のよい子を監督は1軍で使った。

試合に出たかったので勉強も少しの時間、ただし本気でやっていた。

塾ってどんなところなんだろうといつも思っていた。

塾に行かないまま、高校に進んでいた。

僕のペアも塾に通うことなく鶴丸高校にきていた。

僕とペアは、ホモだと噂されていた。

いつも金魚のようにくっついていた。

いつも優勝のための一緒に練習をしていた。

かえるときもずっとテニスの話だけをした。

心の中にはいつもえのもと監督がいた。

えのもと監督の課すであろう練習をした。

商業高校に練習試合にいった。

工業高校に練習試合にいった。

実業高校に練習試合にいった。

大学に練習試合に行った。

男女混合の公立高校でちまちまテニスをやっていても優勝は近づかない。

中学時代の部員のつてを頼っては強い学校にいって練習にまぜてもらった。

自分が弱小学校ではずかしくても強い学校に混ぜてもらった。

国体には出られても、なぜか、テニスのプロにはなれなかった。

なんのことはない。

ソフトテニスにはプロなんてなかったのだ。

それに気がついたのが、高校3年のときだった。

1日4時間の練習時間は、ぼくの集中力養成に多いに役立った。

バイトをしながらテニスをやることに比べたら受験勉強だけの生活は楽だった。

今振り返っても、中学のあのときが一番きつかった。

未だにあれよりハードなトレーニングをしたことがない。

「30歳になったらわかる、やれ」としか彼は言わなかった。